
![]() 寺院詳細
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沿革慶長17年に豊島郡下練馬村に創建された。その後数代を経て神田御茶ノ水に移り、五代将軍綱吉のとき江戸の大火に遭い幕府の命令で現在地へ移った。 当時の練馬村では男寺と女寺とに分けて葬儀を行う風習があり、当地へ移ったのちも戦前まで檀家の村人たちが男の葬儀を行うためにかよったという(練馬区教育委員会発行の「練馬伝説」の中に「長源寺跡とお地蔵様(やいむ様)」と題した記事がある。) その後、空襲により堂宇すべてが焼失しましたが、檀信徒、歴代住職協力のもと完全復興し現在に至る。 ![]() ![]() |
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長源寺 墓所のご案内昔ながらの墓地ですが、近年では小敷地化による低価格化も実践しています。また、樹木が少なく通りのマンションからも離れているので空が広いです。 |
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長源寺 永代供養墓のご案内当山19世住職池田順秀の妹、故池田映子法名観悦院釋尼晧映は「病に苦しんだ人生であったがご縁あってお浄土に往生させていただく。具会一処の理念を尊びできるだけ多くの御同朋と共に葬られんことを願う」との遺言を残した。個人の意思を尊びその遺産を基金としてこの墓苑を建立した次第である。住職謹言万霊無縁供養塔 完全散骨式はロッカー式併設の散骨式です。 |
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MAPアクセス南北線「本駒込」より徒歩8分JR、南北線「駒込」三田線「千石」より徒歩12分 都営バス「駒込富士前」直前 文京コミニティーバスBグル「富士神社前」より2分 |