寺院詳細
|
沿革寛永5年(1628)太田道灌より5代孫太田重政の娘(井上筑後守政重の妻)である浩妙院殿が両親(覚林院殿、了性院殿)の菩提を弔うために太田本屋敷の内に堂宇を立て、日蓮宗本山伊豆玉沢妙法華寺18世日遵聖人を開祖とたのみ両親の法号より1字ずつ取り「覚性山」とし尼公より「浩妙寺」の寺号を頂いた。別堂におまつりしている七面大明神は太田道灌が江戸城築城の折に彫られたもので、身延10世日延聖人に開眼して頂き本人の守り本尊にしていたもの。 江戸の大火も免れたことにより「火防守護開運七面大明神」として称される、大正2年には本郷通りの拡張に境内地約500坪を接収され寺域を縮小したが、戦災を免れ今日に至っている。 |
|||||||||||||||||||
浩妙寺 墓所のご案内先々代・先代・当代と代々の住職が整備に努めてきた昔ながらの寺院墓地です。 |
|
|||||||||||||||||||
浩妙寺 永代供養墓のご案内昔ながらの合祀墓を現在は散骨せずに使用しています。 |
|
MAPアクセス南北線「東大前」より5分三田線「白山」より8分 都バス「本郷追分」より2分 文京コミニティーバスBグル「向丘1丁目」から2分 |