寺院詳細
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沿革お茶の水に創建され、開祖楚渓沼澤禅師は、儒学史上に薩南派といわれた南浦文之禅師の法を嗣がれた方で戸田氏西公に請われて当院に住職されました。しかし、明暦3年の振袖の大火によって焼失し寺域は幕府によって召し上げられ、現在地を替地として拝領しました。 隣接する白山神社創建のよくとしのことです。 楚渓沼澤禅師は、京都大徳寺から出られた方でしたから、お茶の水にあった頃は大徳寺派の寺院だったようです。 しかし、移転を機に楚渓沼澤禅師は引退し、二代目以降に鎌倉の僧侶が住職したため、以後鎌倉の円覚寺派に移ったようです。 二代目の山英碩俊禅師は幻住派という系統の法を嗣いだ高徳な方で、その後もこの系統の僧が住職をし、11代龍爪碩見禅師は本山円覚寺の159代の住職(今の管長)になっています。明治24年、明治禅界の巨匠南隠全愚老師が、山岡鉄舟居士夢去の後、谷中全生庵から衰微頽廃していた当院に転住され、明治33年当院内に「白山道場」を設立、俗僧の教化にあたられました。 その後も諸大徳が禅の挙揚に努めてまいりました。 古い伽藍は戦災に遭い焼失、現在の本堂は昭和53年高須賀晋氏の設計により完成いたしました。 氏は翌年に建築学会賞を受賞、当本堂も建築専門誌に特集され、現在も建築関係の見学者が後を絶ちません。 伽藍が復興した現在は、関東禅界の一つの要として、多くの俗僧の座禅修行者の指導に当たり、東都の「白山道場」として禅界にその盛名を喧伝されています。 毎月、座禅会を開催していますので、日時はお問い合わせください。 |
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龍雲院 墓所のご案内緑豊かな墓地です。残念ながら分譲可能な場所は僅かです。 |
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龍雲院 永代供養墓のご案内一時預かりの納骨堂と合祀墓の併設です。 |
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MAPアクセス三田線「白山」より4分南北線「本駒込」より11分都バス「白山上」から9分 文京コミニティーバスBグル「白山5丁目」から1分 |