寺院詳細
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沿革慶長18年に新天地を求めて江戸へやってきた北陸(特に加賀)の人々によって神田連雀町に作られた。門徒によって作られた寺であり開山には石山本願寺で直参衆をしていた教念の孫宗閑が迎えられた。 当時は寺域は一万余坪あったとされるが、北陸部落全体の広さであり寺そのものは部落内の一家屋を仏法聴聞に都合のよいよう改造した程度のものだったろう。 慶安元年に幕府の命令で部落ごと寺域を召し上げられ、部落の計らいで本郷金助町に移転するも類焼し以後、移る先々で災難にいつつ宝暦11年現在地に移る。 部落は解散したが移転するたびに過去帳には近隣住所が増えている事や、加賀藩邸が近いことから本尊を奉じて寺とともに移り住んだものと思われる。 北陸門徒の「持てる寺」でもあった。 |
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真浄寺 墓所のご案内毎日、2人の墓守さんが寺域をきれいにしてくれている墓地です。各墓地は小さめですが、周囲に高層建築のない墓地です。 |
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真浄寺 永代供養墓のご案内江戸時代から続く合祀墓の地上部分をリニューアルして、一時預かりも可能にした完全散骨式の合祀墓です。 |
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MAPアクセス三田線「白山」より徒歩8分南北線「本駒込」より6分 千代田線「千駄木」より14分 都営バス「白山」より5分 「向丘2丁目」より3分 文京コミニティーバスBグル「白山上」より5分 |