寺院詳細
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沿革慶長2年に神田柳原に開創。開山は分福茶釜で知られる、上州館林の茂林寺12世久山正雄大和尚、開基は石河土佐守勝政公である。はじめ神田柳原にあったが、慶安2年、現在地に移り以後「駒込の大円寺」と呼ばれたが、現在は駅方向へ呼称が変わったので、「白山上の大円寺」、「向丘の大円寺」と呼ばれている。 寛文・天和・享保・天保・文久の江戸の大火に遭っているが、29世太元和尚に至り宮内省匠寮中野清五郎氏による新本堂が建てられ、巨匠高村光雲謹作の七観音像が奉安されて、補陀落の浄土を思わせた。惜しむらくは戦災で焼失したが、その後、30年の間に堂宇の復興。七観音像も光雲門流の人々によって再建され、戦火を逃れた光雲翁作の本尊釈迦牟尼仏などと共に、江戸新撰観音札所二十三番札所として現在に至る。山門真正面に安置の「ほうろく地蔵」尊は八百屋お七の火事とゆかりがあるが、近年では首から上の病にご利益があると、参拝者が絶えない。 |
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大円寺 墓所のご案内季節の花が、其処彼処に植えられている緑の多い墓域です。また、通り沿いのマンションから離れているので東京では珍しく広い空が望める墓地です。 |
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大円寺 永代供養墓のご案内昔ながらの完全散骨式の合祀墓です。 |
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MAPアクセス三田線「白山」より徒歩4分南北線「本駒込」より5分 都営バス「白山」「向丘2丁目」より4分 文京コミニティーバスBグル「白山上」より4分 |